■
ぼくの時間は進まない
自分らしさ
たくさん悩んだ。
たくさんもがいた。
たくさん考えて、たくさん自分を否定して、たくさん迷った。
たどり着く大抵のところには「自分を大切に」とか「自分らしく」と書いてある。
それを見失ってるからこうなっているのにと、そんなことさえできない自分に腹が立つ。
でも、突き詰めて考えた。
考えて浮かんだことを何度となく否定したりもしてみた。
それでもやはり自分らしさとして思いつくことはひとつ。
妻と2人の子どもを心から愛している。
それがいくら否定しようとしても消えてくれない自分らしさ。
■
みんなに会いたい
穴
大晦日の夕方まで働き、新年の滅多に無い連休を過ごし、環境が変わった仕事をまたしだした。
変わらない日常が広がっている中に妻も子供たちもいない。
やらなければいけないことはやるし、全てに前向きになれないということはないがどこかにぽっかりと穴が空いていて絞り出したやる気やポジティブな考えも結局その穴から流れ出ていく。
今さらになって日を追う事に家族の大切さが身に染みてきて、それにしたがい穴はどんどん大きく深くなっていく。
この穴が塞がることはあるのだろうか。
いつかこの穴が塞がるのなら楽にはなるのかもしれないが今のぼくには到底その楽さが求めているものだとも人生を賭ける価値のあるものだとも思うことはできない。
愛する2人へ
いつか、これを読むことはあるでしょうか?
ママがここを覚えていて見つけてくれて、そしてこれを見せると判断するという壁はとても高く感じます。
それでも贖罪になんて到底ならないけれど、今直接謝れない君たちに伝えたいことを書き残します。
お姉ちゃんが3歳の誕生日、おばあちゃん家でお祝いしたよね。
その頃からパパとママは喧嘩をしていました。
原因は全部パパです。
パパはいつも自分に自信が無かったり自分にどこか不満を持ったりしていました。
ママはそんなパパを一生懸命支えてくれていました。
パパはママがそういう風にしてくれていることに慣れてしまってママのことを支えてあげることをしなくなっていました。
お互い支えてあげられないときでも、一緒に頑張らなきゃいけないのに自分は頑張ってると言い聞かせたくてママより自分の方が頑張ってると思おうとしました。
ママはとても強い人です。
君たちを産んだ時も、パパが仕事ばかりでママに君たちのお世話を任せきりの時も悩みながらすごく頑張っていました。
パパはそれを分かっていたはずなのにママにすごいと思われたくて自分の方が頑張ってると見せるのに必死でした。
そのせいでママばかりが苦しいことや辛いことを我慢することになり、パパはそんなママを助けてあげるんだと勘違いしていました。
ママが苦しかったり辛かったりするのはパパのせいなのに、助けるなんておかしいよね。
ママの苦しいことや辛いことをできるだけなくしてあげられるのはパパだけだったのにそれにパパは気付けませんでした。
解決しきれないことでも一緒に苦しんだり一緒に辛いのを乗り越えたりしなきゃいけないのにパパはそれができませんでした。
そんなパパだから、ママはガマンできなくなりました。
だから悪いのはパパです。
ママは君たちが素直に優しく大きくなるためにもパパが近くにいると、君たちもガマンしなきゃいけなくなると思って君たちのためにパパとさよならすることに決めました。
パパはママにさよならすると言われてやっと自分の弱いところや直さなきゃいけないところに気付きました。
でももうママには届きませんでした。
ママは頑張って頑張って頑張って、さよならを決めたので今度はパパが頑張ってママが決めたことを大事にする番だと思います。
ママにガマンばかりさせたので、今度はパパが本当は1番嫌なことをガマンする番になったんだと思います。
そのせいで君たちにも寂しい思いや悲しい思いをさせなきゃいけなくなりました。
それも全部パパがズルをしてきたからです。
ごめんなさい。
君たちにお願いします。
ママを決して責めないでください。
パパの分もママを支えてください。
ママと一緒に幸せになってください。
大好きな人ができたら、その人と一緒にいられる幸せをちゃんと受け止めてください。
大好きな人と一緒にいるために、自分を知ってもらうことより相手を一生懸命知ろうとしてください。
パパはいつまでも、ママのことも君たち2人のことも心から愛しています。
産まれてきてくれてありがとう。
本当にごめんなさい。
パパより。
2歳になったきみへ
昨日、ささやかだけどきみのバースデーパーティをしました。
ママが飾りつけの風船やケーキを選んで、パパが撮影のセッティングをしてプレゼントに買ったおもちゃのキッチンをバックにきみがケーキを一心不乱に食べているのをかわいいかわいいと言いながらひたすらに写真に撮る催しです。
夜、きみとつっくんが寝てからパパとママはきみのこれまでの写真を見返しては幸せな気持ちに浸りました。
その時にママとも話していたけど、1歳から2歳までの1年間できみはとてつもなく成長して、嬉しい反面もうしなくなったハイハイや、ワンワンやうーたんへの情熱や、まだ前歯が2本しかなかった頃のきみをもう見れないと思うと少しだけ寂しい気持ちにもなります。
きみが1歳から2歳を過ごした2019~2020は新型コロナウイルスというのが世界的に流行し、世の中に色んなダメージや変化をもたらしました。
パパも本当なら家族と自分のために自分のお店を持とうとしていましたが、今も見送っています。
そんな中、きみが1歳8ヶ月くらいの頃につっくんが生まれました。
感染症の影響でママはひとりでつっくんを出産しました。面会も出来なかったので5日間、家族と会えずに1人で頑張りました。
パパは、ママがそういう大仕事を弱音を吐かずにさらっとやってのけることを本当に尊敬しています。
ママがそうやって頑張っている頃。
パパは不安でした。
それまできみはパパと2人で寝ることを拒み、寝る時は必ずママと一緒で、小さな手でママの髪の毛を1束掴み顔や耳や時には足の裏に擦りつけながら寝るという儀式が必要でした。
パパにはきみを1人で寝かしつける自信がこれっぽっちもなく、少しでもママの代わりになれるように、きみが少しでも掴みやすいようにと苦し紛れに髪を伸ばすことまでしました。
ママが入院して1日目の夜。
郡山のばぁばも泊まりに来ている中でパパはきみに「寝るよー」と言い、手を引きベッドへ連れて行こうとしました。
いつもならここで手を振りほどかれ、苦虫を噛み潰したような顔で泣かれ、ママに抱きついていたきみは、むしろパパがびっくりするほど素直に一緒に寝室に行きパパの前髪を掴んで顔に擦りつけながら泣くことも無く寝落ちしました。
それからの5日間。
きみは1度もママがいいと泣き出すこともせず、パパの前髪を掴みながら眠りにつきました。
あの時きみがママがいないことをどう感じていたのかは分からないけれど、ママが頑張ってつっくんを生んでくれたように、きみも頑張ってお姉ちゃんになったんだなと感動しました。
ママがいない間、パパは感染症の影響でその時働いていた店がヒマだったのもありほぼ休みを取ってきみと過ごしました。
何度かトイレにママを呼びにいったことはあったけれど、きみはパパがいる間はパパと笑顔で過ごしてくれて、でもちょっとパパがトイレに行っただけで泣いていました。
きっと、ママがいないのをパパで我慢してくれていたんだなと思います。
ママが入院中、ずっとパパとママがLINEで相談していたことがあります。
ママが退院する時、頑張ってくれたきみがどうやってママとつっくんと対面するのがいいのか一生懸命考えていました。
パパもママも、親を独り占めできなくなったきみがなるべく寂しくないように、変わらずにきみが大事なんだと伝えるためにはどれが最良なのかと必死で考えました。
結局再会して最初に泣いたのはママでしたが。
そしてママが帰ってきてからまたきみはパパと寝るのを全力で拒否るようになりましたが。
そんな家族の一大事を経て、きみはお姉ちゃんになりました。
数字を何となく読めるようになり、おもちゃのキッチンで料理ごっこをし、どこに行くにもドキンちゃんとコキンちゃんのぬいぐるみを握りしめ、アレクサに「アンパンマン体操かけて」と話しかけ、毎日毎日かわいい笑顔と泣き顔と目覚しい成長を見せてくれています。
今、ママは昼間ひとりで、まだ1人でお座りもできないつっくんと果物とコーンフレークばかり食べたがるきみを一生懸命育ててくれています。
パパは自分がお店を持つために、今の職場の感染症でのダメージを取り戻すことが必要なので自分なりに頑張っています。
それもこれも、きみがいつも笑顔で元気にいてくれるおかげです。
ママが入院していた5日間、きみがパパと嫌がらずに寝てくれたこと、パパは一生忘れません。
パパもママもきみと過ごす人生の一日一日がとても幸せです。
いつかこれを読むことがあったらどのタイミングで見ているにせよ、間違いなくこれを書いている今と変わらずにパパもママもきみを愛していて幸せに過ごして欲しいと願っています。
まだまだ始まったばかりのきみの人生。大いに楽しんでください。
そして、ママを大事にしてください。
つっくんとも仲良くしてあげてください。
パパより。
メモに残してあった散文
「心地よい非力さを実感する」
たった1年8ヶ月前には感情を表情に出すことさえ出来ず生きることで精一杯だった命が寝返りをし、自力で移動することを覚え、二本足で立ち、言葉という概念を理解し、踊り、歌い、泣き、笑う。
寂しがり、求め、喜び、学ぶ。
そして、その命を母親は40週以上もかけ胎内ではぐくみ産まれてからも自分の身体の一部を糧に変換し与え育てる。
ぼくはただ一度、その命の一部を放り込んだだけで他には絶対的に必要な存在にはなり得ない。
そんな極限の非力さを感じつつ、明らかに自分の一部を宿した命の成長を、進化を目の当たりにしている。
この世界にこの子とこの子を産んだひと以上に気高く尊い存在はなく、それでもその中に自分の存在意義が多少なりともあることを表現しうる言葉は「幸せ」なのだろう。それでもその一語では到底たどり着けない感情に包まれる。
非力さを感じること、この子の目まぐるしい成長に敬服するばかりではあるが、それこそが自分の生きる意味にも思える。
2人に感謝。
ーーー以上がメモに書き留めてあった。
これは妻の出産2日前の夜にベッドの中で書いたもの。備忘録として残しておこう。