メモに残してあった散文

「心地よい非力さを実感する」

たった1年8ヶ月前には感情を表情に出すことさえ出来ず生きることで精一杯だった命が寝返りをし、自力で移動することを覚え、二本足で立ち、言葉という概念を理解し、踊り、歌い、泣き、笑う。

寂しがり、求め、喜び、学ぶ。

 


そして、その命を母親は40週以上もかけ胎内ではぐくみ産まれてからも自分の身体の一部を糧に変換し与え育てる。

ぼくはただ一度、その命の一部を放り込んだだけで他には絶対的に必要な存在にはなり得ない。

 


そんな極限の非力さを感じつつ、明らかに自分の一部を宿した命の成長を、進化を目の当たりにしている。

 


この世界にこの子とこの子を産んだひと以上に気高く尊い存在はなく、それでもその中に自分の存在意義が多少なりともあることを表現しうる言葉は「幸せ」なのだろう。それでもその一語では到底たどり着けない感情に包まれる。

 


非力さを感じること、この子の目まぐるしい成長に敬服するばかりではあるが、それこそが自分の生きる意味にも思える。

 


2人に感謝。

 

ーーー以上がメモに書き留めてあった。

これは妻の出産2日前の夜にベッドの中で書いたもの。備忘録として残しておこう。