妻に捧げる

 

8月22日、5時28分。3100gの赤ちゃんが産まれた。

 

今は5時55分。

妻は子宮の収縮の進みが良くないらしく、ちゃんと収縮しないと血が止まらないとのことでまだ処置をしている。

 

少し前にドラマでそうやって亡くなった人の話をチラ見したので少しだけ不安はよぎるが先生も心配はないとおっしゃっていたので大丈夫だろう。

廊下で待っていてとのことで朝日が差し始めた産婦人科の病院の待合のソファに座っている。

 

今のうちに忘れないように今日のことを書き残そうと思う。

 

0時過ぎに仕事から帰り、いつもバイブにしてる携帯を音が出るようにしていつ連絡が来ても起きれるように床で寝ていた。

3時15分すぎに妻から「子宮口が開いてきている。助産師さんが陣痛室にいる前のひとがいなくなったら旦那さん呼ぼうか?」と言われたとLINEが来た。

飯を食ってそのまま寝落ちしかけていたぼくは飛び起きてとりあえずシャワーを浴びた。

 

何か持っていくものは無いかと考えていたら病院から電話があり、「そろそろ来院してください。若いから進みが早そうです。」と言われた。

自分で思っていたよりも冷静ではなかったからか、助産師さんが早口だったからか「来院」が「LINE」に聞こえて、は?LINE返したけど?どこに?と一瞬思った。

30分で着くか怪しいと思い、1時間以内には着くと伝えると助産師さんは少し強い口調で「なるべく急いで下さい」とぼくに告げるとそそくさと電話を切った。

 

病院についてみて分かったが、その時は陣痛室に先に1人入っている人がいて妻も陣痛が来て、早朝で病院のスタッフも少ない中で大変だったんだと思う。

 

タクシーを呼ぼうと電話すると「今は車が出てない」と言われた。そんなわけあるか。と思いつつアプリでタクシーを呼びとりあえず思いつくものを持って(と言ってもクッキー1箱とウチワと妻が持ち忘れたパーカーくらいだが)部屋を出た。

昼間に、飲み物が足りないと言っていたのでコンビニで適当に飲み物を買い足していたらちょうどタクシーが来た。

 

行先も指定して呼んだが乗り込むなり「どこまで?」と聞かれた。行き先を告げるとおっさん運ちゃんは走り出した。

 

タクシーの中で店のスタッフとオーナー、自分の母親にとりあえずLINEを打った。

この時間に産婦人科に行くのだから、何となく察するもんだと思ったがタクシーの運ちゃんはアプリで呼ばれるのが嫌いだとか、ナビは変な道ばかり指示してきてうるさいだとか、明らかにぼくとは真逆の人なんだなと思いながら適当に相槌を打ち、ついでに毎日LINEで生まれたか聞いてきていた今井さんにもLINEしておいた。

 

病院につき、助産師さんに案内されたのは手術室。陣痛室なのか分娩室なのかよく分からないがとにかく普通なら行くはずの部屋には先客がいてとりあえず手術室にいる、という感じだった。

 

リュックを背負い、コンビニの袋を下げたままのぼくを案内した助産師さんは「1回病室に荷物起きに行こうか?」と聞いてきた。

断る理由の無いその問いと、明らかに荷物があるぼくを手術室にそのまま通した事に疑問を抱いたがそれだけ助産師さん達も冷静というほどの状態では無かったのだろう。

 

病室に荷物を置き、割烹着みたいな服を着せられてまた手術室に入った。両親学級では頭の右上くらいに立つように言われていたが妻が寝ている分娩台(手術室なので上にあの照明があるだけで仰々しい手術台に見えた)の頭側には機材が雑然と並んでいてぼくはその隙間を縫って立った。

 

(ここまで書いて再度手術室に呼ばれて落ち着いた妻と子供と小一時間過ごした)

 

 

いつも、「疲れた」とか「いやだ」とか弱音を吐きがちな妻が、弱音を全く吐かずただただ痛みと戦う姿はもうすでに母親の強さを感じ尊敬するしかなく自分の非力さを突きつけられる時間だった。

 

(ここまで書いて丸一日妻と子供と家族3人の初めての一日を過ごした。)

 

5時頃だっただろうか。それまで2人の助産師が代わる代わるお世話してくれていたが、やっと先生が来た。

と同時に部屋の中の空気がピリついた。

恐らく普段、ここでの分娩はしないのだろう。

助産師さんがセットした脚を乗せる台を先生が直すよう指示したが、助産師さんはいまいちやり方が分かっておらず「もういい、どけ!」と先生は声を荒らげた。

どんな人だろうと今はこの先生に妻とわが子を託すしかなく多少の不安は抱いたが、信じるしかないこととそれころではなく妻をどう励ますかだけを考えていた。

 

点滴を吊るすスタンドを握りしめた妻の手を握ると妻はぼくの手とスタンドを一緒に握りしめた。

金属の棒が手の甲に押し付けられぼくの骨張った手は痛みを感じたが、妻の苦しさに比べればこんなのは比ではない。そう思い表情にさえ出さないよう努めた。

 

頭が出てきたと言われた頃には妻はうめき声をあげ、見たことの無い苦悶の表情を浮かべていた。

助産師さんにも先生にも「呼吸して」「今はいきまないで」「はい、いきんで!」と言われていたが、ぼくには何が何だか分からず「頑張れ」という何の足しにもならないような言葉を絞り出すことが精一杯だった。

 

「吸引する」

どうやら妻がうまく呼吸が出来ていないようで赤ちゃんに酸素が回っていなくて早く取り出した方がいい、という状況らしく先生がそう言って吸引を始めた。

苦しそうな妻を見ていたぼくにとってはいくらか早く終わるのならよかった、と少し安心できたが果たして妻にとってはどうだったのか。

娘にとってどうだったのか。

 

そして、8月22日の5:28。

娘が産まれ、妻は母となりぼくは父となった。

結局妻は一言も「痛い」と言わず、うめき声はあげていたものの立派に初産をやり遂げてくれた。それには本当に感動したし素直にすごいと思うし、尊敬した。

娘を出産し、ほっとしていたが何やら先生が落ち着かない表情を浮かべていた。収縮するはずの子宮がうまく収縮しないらしく、このままだと出血が止まらないらしい。

先生はマッサージすると言い妻の下腹部を押している。たぶん普通の分娩台ならもう少し妻の上体も起き上がっている姿勢なんだろうがここは手術室で妻が寝ているのは手術台。

妻の脚の間で、胎盤と押されるたびにすごい勢いで出てくる血を受け止めているタライがぼくからはまるまる見えている。

出産は無事終えたもののまだ安心できる状態ではなく、だからといってここでぼくが不安がっては妻が不安になると思い平静を装った。

タライに血が並々と溜まった頃、収縮し始めたとのことで先生は妻の下腹部に氷嚢を当てぼくに1度部屋から出るよう促した。

 

ぼくはひと安心し部屋を出てまだ電気もついていない早朝の廊下のベンチに座り冒頭の部分を書き始めた。少ししてまた呼ばれ手術室に戻ると人手が足りないのかビニール袋に入った胎盤が無造作に踏み台の上に置かれていた。

妻は手術室に横たわり朦朧としていたが、だけど安堵の笑みを浮かべぼくを見た。

それから2時間ほどだろうか。

手術室で妻とぼく、そして産まれたばかりの娘と3人で初めての家族だけの時間を過ごした。

妻の頭を撫で、ありがとうと言ったがたぶん通常の3倍の出血をした妻の記憶には残っていないだろう。

部屋に戻る時、助産師さんが歩いていこうと言って妻を手術台の上に起き上がらせた。

ゆっくりね、と言われ1歩立ち上がった瞬間妻は倒れぼくと助産師さん達で受け止めた。

担架が運ばれてきたが正直最初からそうしてくれと思った。

 

ぼくは妻のことを今どきの女の子によくある、無理に頑張ったりせず何でもほどほどでいいやくらいに済ませるタイプの人間だと思っていたし、それは普段はあながち間違いではないと思っている。もちろんそういうところも好きで一緒になったが今日ほど妻にいい意味で裏切られたことは無かった。

妻とは歳の差もあり、基本的にぼくにとっては可愛がる対象だったがこの出産を通じて心からの尊敬の念が生まれ、同時に誇らしく思えた。

きっとこれから妻に対して色々な感情を抱くことはあるだろうがこの日のことを忘れずにいよう。

 

うだるような夏の日、ぼくの大好きな妻がぼくが大好きになるであろう娘を産んでくれた。

自分勝手で頼りがいのないぼくが父としてやっていけるのかどうか、これからは2人でいた時のような恋人気分ではいられなくはなるのも寂しいがそういう不安や寂しさは心の奥にしまっておこう。順番通りであればいつか来るであろう2人を遺して先立たなければ行けなくなる時までは。

 

これからのぼくの人生を妻と娘に捧げることを誓う。

それだけは何かあっても決して投げ出すことの無いようここに記す。