息子と娘と妻とぼく

とてもとても変則的な出来事から4日と9時間が経ち、それでもなんだかまだ実感に乏しい木曜日。いや、日付をまたいだ2020年4月17日、金曜日の深夜にこれを書いている。

今日、妻と息子が帰ってくる。

 

世界的に未曾有の感染症に怯えている最中に生まれたぼくの息子。

妻が母としてどれだけ頑張って命を紡いだのか、ぼくがどれだけ息子を待ち望んだのか、ぼくたち家族にとって息子の誕生とはどれだけ大きな出来事なのか、それを誕生の記録として残すはずだったものさえその感染症に台無しにされた感は否めない。

 

誕生のわずか3日前。

病院から予定していた立会出産が感染予防のために中止になったと連絡があった。

もちろんショックは大きかったが、半ば覚悟はしていたので「来たか」と言うのが正直なところだった。

実を言うと、妻の出産に対してはさほど心配はしていなかった。

いや、心配はしていたがそれはぼくがついていてもどうすることもできない命がけの行為に対してで、長女の出産の時にぼくはあの人の強さを思い知らされていて出産自体はきっとどんな状況でもやり遂げてくれるという確信と信頼があった。

ただ、面会はとっくに禁止されていたので生まれてくる長男と対面できるのが先送りになってしまった悔しさの方が大きかったし、頑張ってくれた妻をその場で労えないことの方が悔しかった。

 

4月12日、日曜日。

予定日を9日過ぎて次の日には誘発分娩のために入院する予定だった。

前日の夜から陣痛の様子が変わってきたということで、仕事に行き昼頃に母親に一応来てもらい待機してもらうことにした。

 

13時半頃にまだだとは思うけど陣痛の間隔が短くなってきたと連絡を受けたがまだ大丈夫というので仕事が終わり帰宅出来る夜までもってくれとぼくは願った。

そしてたった30分後に病院に行くと連絡があった。

 

まただ。

 

長女の時もまだだと言われていたのにすぐに出産が始まった。普段から何かと時間ぎりぎりに行動しがちな妻らしいと言えばそうだがこれだけは何とかしてもらいたい。

 

立会が禁止になったと聞かされた時、やれる事がほとんど無いなら未来のために仕事を優先しようと思っていた。その日ももともと16時から予約が入っていて、しかも新規のお客様だったので普段なら最優先に考えるはずの状態だったし、直前には病院に行くと連絡が来た30分後にも予約が入っていて、人見知りをする男の子でぼく以外には担当できないであろうお客様だった。妻から連絡が来るまで本当に今回の出産には何もできない、しない選択をしようと思っていた。

 

妻からの病院に行くとの一文を目にした時、ぼくの覚悟や決心というものは呆気ないほど翻り何の躊躇もなくその日ご予約の入っていたお2人に変更のお願いの連絡をしていた。

その時にいた、もうすぐ終わるお客様をアシスタントにお願いして新規の方にメールを打ち、男の子にはお母さん宛に電話をしていたところに本人が早めに来店した。事情を説明すると快諾してくれたとは思っているが、半ば強引だったのは否めずもしかしたらその子とお母さんはもう来店しない可能性もあるが、それでもぼくは微塵の後悔もない。乱暴に言えば家族よりも大事なお客様は1人もいないのでこれで納得して貰えないなら、そういう価値観の相違があったというだけの話だ。

大急ぎで、でも私的なことで仕上がりに不備を出さないように慎重にお客様をお帰しし、10分だけ待ってくれと妻に連絡をして足がちぎれるほど自転車を漕いだ。

仕事に遅刻しそうでもこんなに急いだことは無い。あと100m家が遠かったら吐いていただろう。

 

車に乗り病院までの5分の道のりを運転し荷物を持って時間外入口を通った。酸欠を起こしたぼくの脳は自転車を降りて病院の守衛さんに頸筋で検温されるまでの間の記録を残していない。

病院に着き、1階のベンチで数分待つ間に自販機で買ってきたアクエリを勢いよく胃に流し込み、やっと落ち着いたと思ったのも束の間。

母子センターの看護師さんであろう方が迎えに来て3人で5階へと上がる。

入院手続きの紙だけを残し荷物を渡すと、手続きをして来てください、ここで奥さんとは退院までお別れです的なことを呆気なく言われた。

店を後にして1時間もしない間にぼくは妻と引き離された。

 

上の子と、面倒を見るために来てくれた両親の待つ家に帰った。上の娘はちょうどお昼寝から起きたところだったが予想外に泣くことも無く大人しく待っていた。

母は買い出しをすると出かけ、父はもう少し待っていると残った。

ぼくが病院に送り届けて2時間半後。妻は息子を出産した。スピード出産であることには違いないし、ついていてやれなかったが順調に進んだようではあったがそれもこれも全て妻の頑張りの結果。

つくづく小柄な妻の底力みたいものには感服する。

信じていた通りに1人で大仕事をやってのけた。この人には一生頭が上がらないなとあらためて思った。

1人で大変だったはずだし心細かっただろうにLINEではそんなことは微塵も感じさせず、息子をかわいがる様子が溢れてきて本当にこの人と結婚して良かったなと思う。

 

そしてぼくは娘の(正確にはぼくの母親も)二人暮しが始まった。

昼間遊ぶのはさほど心配していなかったが風呂と寝かしつけは今まで完全に1人でやる事が無く、それが最大のネックだった。

今まで風呂に1人で入れたことはあるが風呂上がりは妻に頼っていたし、寝る時はぼくが寝かしつけをしようとしたもんなら手を振り払われ全力で拒否されていた。

 

ところがあっけないほどにその心配はふっとんだ。娘は昨日までがウソかのように風呂も寝る時も素直にぼくの言うことを聞き、甘え、まるで母親がいないのを気付いているがあえて気付かないようにしているようにも見えた。

娘は娘でこの出産を理解できないままに、一緒に乗り越えてくれたんだと心から思う。

一皮むけて「お姉ちゃん」になってくれたのを感じた。

 

今日からは妻も無事退院し、まずはぼくの実家で四人家族の慣らし運転が始まった。

てんやわんやでまだまだ形になりきらないし、とりあえず書いたこの記録も推敲し終わるのにどれだけかかるかも分からない。

明るくて頑張り屋で抜けてるところもあるけれど芯のしっかりした妻と、それを受け継いだような優しくて愛嬌のあるかわいい娘とまだどう育つかは分からないけどイケメンで足の力が強くてちゃんとママを夜中に寝かせてくれる息子。3人とも宇宙で1番愛していて絶対に失いたくない宝物に囲まれて、ぼくは誰がなんと言おうと今最高に幸せだし、きっとこれから色んな事がおこるだろうけど何が起きようとこの先もこの家族でいることがかけがえのない宝物であるのは間違いない。

 

やっと落ち着いて書いた文章を見直した。

 

もう妻と息子が退院して1週間が経つ。

 

そしてもう一度考えてみたが

 

やはりぼくは宇宙で1番幸せだ。

 

家族への想い

10日前くらいからだろうか。

妻の様子がソワソワしているように感じていた。トイレが近いこと、何となく具合が悪いことを気にしているのには気付いていた。

ぼくの中にももしかしたらという思いがよぎっていた。

 

8月15日。

妻は妊娠検査薬を使った。

失敗した。

説明書もよく読まずに使ったらしい。妻らしいなと、呆れると言うよりは微笑ましく思った。

8月16日。

再度使ってみたところ陽性だった。

 

もともと2人は欲しいねと話していたが、計画では長女が3~4歳頃にというのがぼくと妻との共通理解だったし、今は長女が可愛くて可愛くて仕方ない。

2人目が産まれてくることでこの気持ちが倍になったら仕事なんかしたくなくなって毎日一緒にいたくなるだろうとか、半分になるとしたらちょっと勿体ないようにも思った。

そして、予定日頃にはぼくは独立して店をオープンさせているはずだ。

前は妻のことをなるべく気遣い、上手くやれていたかは分からないが自分なりにストレスのないようにと考えていた。

しかし、今回は状況が違う。

これから活発になっていくであろう長女、独立という人生をかけた挑戦とその準備。

2人で乗り越えた最初の出産とは訳が違う。

ぼくはぼく自身でいっぱいいっぱいになるのは目に見えている。

その中で妻は長女の世話をしながらの妊娠。

正直不安は前回より大きい。

いや、不安というよりも自分がどこまでやれるのか、自分が独立に向ける力と家族に向ける力をうまく配分できるのか。家族が増える喜びはもちろんあったのだが素直に喜ぶだけではなかった自分がいた。

そのことがぼくの心を重くした。

 

検査薬の結果を見て「出来てたよ」と言った妻は真っ直ぐに喜んでいるのとは違うように見え、それが自分のせいな気がしてひどく申し訳なく思えた。

素直に喜ばせてあげられていないことに気付いて、それは自分が素直に喜べていないからだとも思ったし、それはぼくが望んでいる家族の形ではなかった。

かと言って無理矢理喜ぶのも違う気がして妻を抱き寄せた時にやっと気付いた。

 

ぼくはただ、妻を、娘を、産まれてくる子供を思いのままに愛すればいいんだ、と。

娘が産まれて以来、軽いハグくらいはあっても本当の意味で気持ちを込めて抱きしめることは目に見えて減っていて、それは仕方ないことと思いつつも、どこか寂しさもあった。

色々な感情の中で抱きしめた妻は、付き合っている頃から、結婚してから、子供を産んでくれてから、いい意味で何も変わらない、ぼくの大好きなあの子だった。

何がそう思わせたのかは分からないが、そこにあったのはただの幸せだった。愛だった。

 

独立するのも家族みんなでもっと幸せな生活を、幸せな時間を過ごしたいと思ったからだし、経済的にも時間的にもこのままの状況では悪くなることはあっても良くなる可能性は薄いと思っていたからだ。

それなら一か八かであったとしても、家族と幸せに過ごせる自分でいられるようになろうと思ったからだ。

愛が全てを救うわけではないが、犠牲にしたくない愛を持っているし受け取っているからだ。

 

それでも、乗り越えなければいけないことは変わることなく存在していて、今までとはまた違う家族の試練でもあるのは間違いないだろう。

歩けるようになりますます目が離せなくなる娘。

妊娠して悪阻や大きくなるお腹と対峙しなければならない妻。

独立に向けて右も左も分からない不安とプレッシャーに溺れる自分。

ケンカやピリついた空気、笑顔になれない時間、そういうものも増えるだろう。

 

だけど、それもぼくら家族の歴史になり、次の子も一緒になって幸せが増えるための助走になるはずだ。

 

ぼくは妻と娘の笑顔が大好きでそのために仕事をして、そのために生きている。

それが見られなくなる瞬間が来ることに怯んでいたが、それも家族の時間。

そういう時間も一切合切まとめてぼくの愛する家族なんだ。

経験したことのない環境を家族4人が乗り越えなければならないが、その先には経験した事のないくらいの幸せが待っている。大切な新しい家族が待っている。

 

ぼくはそこまで4人を連れていかなければならないし、連れていく。

それが夫であり父であるぼくの使命であり、ぼくの人生の意味だから。

そして、4人になった家族で幸せを感じるためにもがきながら生きる。

例え上手くいくことばかりではなかったとしても、それがぼくら家族なんだから。

 

 

妻に捧げる

 

8月22日、5時28分。3100gの赤ちゃんが産まれた。

 

今は5時55分。

妻は子宮の収縮の進みが良くないらしく、ちゃんと収縮しないと血が止まらないとのことでまだ処置をしている。

 

少し前にドラマでそうやって亡くなった人の話をチラ見したので少しだけ不安はよぎるが先生も心配はないとおっしゃっていたので大丈夫だろう。

廊下で待っていてとのことで朝日が差し始めた産婦人科の病院の待合のソファに座っている。

 

今のうちに忘れないように今日のことを書き残そうと思う。

 

0時過ぎに仕事から帰り、いつもバイブにしてる携帯を音が出るようにしていつ連絡が来ても起きれるように床で寝ていた。

3時15分すぎに妻から「子宮口が開いてきている。助産師さんが陣痛室にいる前のひとがいなくなったら旦那さん呼ぼうか?」と言われたとLINEが来た。

飯を食ってそのまま寝落ちしかけていたぼくは飛び起きてとりあえずシャワーを浴びた。

 

何か持っていくものは無いかと考えていたら病院から電話があり、「そろそろ来院してください。若いから進みが早そうです。」と言われた。

自分で思っていたよりも冷静ではなかったからか、助産師さんが早口だったからか「来院」が「LINE」に聞こえて、は?LINE返したけど?どこに?と一瞬思った。

30分で着くか怪しいと思い、1時間以内には着くと伝えると助産師さんは少し強い口調で「なるべく急いで下さい」とぼくに告げるとそそくさと電話を切った。

 

病院についてみて分かったが、その時は陣痛室に先に1人入っている人がいて妻も陣痛が来て、早朝で病院のスタッフも少ない中で大変だったんだと思う。

 

タクシーを呼ぼうと電話すると「今は車が出てない」と言われた。そんなわけあるか。と思いつつアプリでタクシーを呼びとりあえず思いつくものを持って(と言ってもクッキー1箱とウチワと妻が持ち忘れたパーカーくらいだが)部屋を出た。

昼間に、飲み物が足りないと言っていたのでコンビニで適当に飲み物を買い足していたらちょうどタクシーが来た。

 

行先も指定して呼んだが乗り込むなり「どこまで?」と聞かれた。行き先を告げるとおっさん運ちゃんは走り出した。

 

タクシーの中で店のスタッフとオーナー、自分の母親にとりあえずLINEを打った。

この時間に産婦人科に行くのだから、何となく察するもんだと思ったがタクシーの運ちゃんはアプリで呼ばれるのが嫌いだとか、ナビは変な道ばかり指示してきてうるさいだとか、明らかにぼくとは真逆の人なんだなと思いながら適当に相槌を打ち、ついでに毎日LINEで生まれたか聞いてきていた今井さんにもLINEしておいた。

 

病院につき、助産師さんに案内されたのは手術室。陣痛室なのか分娩室なのかよく分からないがとにかく普通なら行くはずの部屋には先客がいてとりあえず手術室にいる、という感じだった。

 

リュックを背負い、コンビニの袋を下げたままのぼくを案内した助産師さんは「1回病室に荷物起きに行こうか?」と聞いてきた。

断る理由の無いその問いと、明らかに荷物があるぼくを手術室にそのまま通した事に疑問を抱いたがそれだけ助産師さん達も冷静というほどの状態では無かったのだろう。

 

病室に荷物を置き、割烹着みたいな服を着せられてまた手術室に入った。両親学級では頭の右上くらいに立つように言われていたが妻が寝ている分娩台(手術室なので上にあの照明があるだけで仰々しい手術台に見えた)の頭側には機材が雑然と並んでいてぼくはその隙間を縫って立った。

 

(ここまで書いて再度手術室に呼ばれて落ち着いた妻と子供と小一時間過ごした)

 

 

いつも、「疲れた」とか「いやだ」とか弱音を吐きがちな妻が、弱音を全く吐かずただただ痛みと戦う姿はもうすでに母親の強さを感じ尊敬するしかなく自分の非力さを突きつけられる時間だった。

 

(ここまで書いて丸一日妻と子供と家族3人の初めての一日を過ごした。)

 

5時頃だっただろうか。それまで2人の助産師が代わる代わるお世話してくれていたが、やっと先生が来た。

と同時に部屋の中の空気がピリついた。

恐らく普段、ここでの分娩はしないのだろう。

助産師さんがセットした脚を乗せる台を先生が直すよう指示したが、助産師さんはいまいちやり方が分かっておらず「もういい、どけ!」と先生は声を荒らげた。

どんな人だろうと今はこの先生に妻とわが子を託すしかなく多少の不安は抱いたが、信じるしかないこととそれころではなく妻をどう励ますかだけを考えていた。

 

点滴を吊るすスタンドを握りしめた妻の手を握ると妻はぼくの手とスタンドを一緒に握りしめた。

金属の棒が手の甲に押し付けられぼくの骨張った手は痛みを感じたが、妻の苦しさに比べればこんなのは比ではない。そう思い表情にさえ出さないよう努めた。

 

頭が出てきたと言われた頃には妻はうめき声をあげ、見たことの無い苦悶の表情を浮かべていた。

助産師さんにも先生にも「呼吸して」「今はいきまないで」「はい、いきんで!」と言われていたが、ぼくには何が何だか分からず「頑張れ」という何の足しにもならないような言葉を絞り出すことが精一杯だった。

 

「吸引する」

どうやら妻がうまく呼吸が出来ていないようで赤ちゃんに酸素が回っていなくて早く取り出した方がいい、という状況らしく先生がそう言って吸引を始めた。

苦しそうな妻を見ていたぼくにとってはいくらか早く終わるのならよかった、と少し安心できたが果たして妻にとってはどうだったのか。

娘にとってどうだったのか。

 

そして、8月22日の5:28。

娘が産まれ、妻は母となりぼくは父となった。

結局妻は一言も「痛い」と言わず、うめき声はあげていたものの立派に初産をやり遂げてくれた。それには本当に感動したし素直にすごいと思うし、尊敬した。

娘を出産し、ほっとしていたが何やら先生が落ち着かない表情を浮かべていた。収縮するはずの子宮がうまく収縮しないらしく、このままだと出血が止まらないらしい。

先生はマッサージすると言い妻の下腹部を押している。たぶん普通の分娩台ならもう少し妻の上体も起き上がっている姿勢なんだろうがここは手術室で妻が寝ているのは手術台。

妻の脚の間で、胎盤と押されるたびにすごい勢いで出てくる血を受け止めているタライがぼくからはまるまる見えている。

出産は無事終えたもののまだ安心できる状態ではなく、だからといってここでぼくが不安がっては妻が不安になると思い平静を装った。

タライに血が並々と溜まった頃、収縮し始めたとのことで先生は妻の下腹部に氷嚢を当てぼくに1度部屋から出るよう促した。

 

ぼくはひと安心し部屋を出てまだ電気もついていない早朝の廊下のベンチに座り冒頭の部分を書き始めた。少ししてまた呼ばれ手術室に戻ると人手が足りないのかビニール袋に入った胎盤が無造作に踏み台の上に置かれていた。

妻は手術室に横たわり朦朧としていたが、だけど安堵の笑みを浮かべぼくを見た。

それから2時間ほどだろうか。

手術室で妻とぼく、そして産まれたばかりの娘と3人で初めての家族だけの時間を過ごした。

妻の頭を撫で、ありがとうと言ったがたぶん通常の3倍の出血をした妻の記憶には残っていないだろう。

部屋に戻る時、助産師さんが歩いていこうと言って妻を手術台の上に起き上がらせた。

ゆっくりね、と言われ1歩立ち上がった瞬間妻は倒れぼくと助産師さん達で受け止めた。

担架が運ばれてきたが正直最初からそうしてくれと思った。

 

ぼくは妻のことを今どきの女の子によくある、無理に頑張ったりせず何でもほどほどでいいやくらいに済ませるタイプの人間だと思っていたし、それは普段はあながち間違いではないと思っている。もちろんそういうところも好きで一緒になったが今日ほど妻にいい意味で裏切られたことは無かった。

妻とは歳の差もあり、基本的にぼくにとっては可愛がる対象だったがこの出産を通じて心からの尊敬の念が生まれ、同時に誇らしく思えた。

きっとこれから妻に対して色々な感情を抱くことはあるだろうがこの日のことを忘れずにいよう。

 

うだるような夏の日、ぼくの大好きな妻がぼくが大好きになるであろう娘を産んでくれた。

自分勝手で頼りがいのないぼくが父としてやっていけるのかどうか、これからは2人でいた時のような恋人気分ではいられなくはなるのも寂しいがそういう不安や寂しさは心の奥にしまっておこう。順番通りであればいつか来るであろう2人を遺して先立たなければ行けなくなる時までは。

 

これからのぼくの人生を妻と娘に捧げることを誓う。

それだけは何かあっても決して投げ出すことの無いようここに記す。